ひとつでは少なすぎる。

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言いたいことを言ってしまうと行き辛い、この大変で残酷な世界を生き抜く方法

正しいことを言っているはずなのに、周りが理解してくれない。

 

そう思ったことがある人は、少なくないと思います。コイツ何言ってるんだろうな、というしらけた目線を受けたこともあるでしょう。

 

仕事のやり方で上司に疑問をぶつけた時。会議の席で、新しい仕事の進め方を提案した時。飲み会の席で出た下らない話に共感しなかったとき。

 

生きていれば、”なんでわかってくれないんだろう”と、思う場面は必ずあります。優しくて頭の良い(けれども天才ではない)人ほど、そう思って世の中を息苦しく感じてしまいます。

 

 

実は、あなたの周りにいる人の、30人中29人ぐらいは、自分の頭で判断していません。だから、あなたがいくら正しい事を言っても理解してくれないのです。

 

上司が言ったから従う。友達がそう言ったから正しい。それで社会は回っています。世の中は、正しい/正しくない、正義/悪といって論理では動いていないのです。

 

そんな中て、一人だけ善悪や論理で動いてても、ただただ息苦しく大変なだけです。そんな大変な社会で生きていくのに必要なのは、他人に影響されずに、自分にだけは、正直で生きていくことです。

 

正しい事=正解にならない世の中

仕事で、上司がやや的外れな、間違った指示を言ったとします。それに対して、あなたが疑問を呈したり、反論したりすることは、論理的で正しい行動です。

 

ですが、結論からすれば、上司の指示に反抗するなんてことは、百害あって一理なしです。

 

実際に仕事をしてみると、無茶なことだと思っていた仕事がうまく回ってしまうなんてことがよくあります。これは上司が社会的な力(権力)を持っていることによります。

 

これに対して、仮にあなたが上司の指示に反抗して、自分の正しいと思ったやり方を強行した場合、その仕事は間違いなく難航し、成功する確率もぐっと下がるでしょう。

 

ならば、上司に噛み付くより粛々と仕事をして、仕事が無事に終わらせた方が、(結果としては)不毛な諍いもなく、仕事を達成したあなたの評価もあがり、あなた自身にとっては、かしこい選択となります。

 

上司の言葉には正しさを捻じ曲げる力がある。

仕事に関しては、実は上司が超絶に出来る人で、一見すると間違っているような指示には深い理由があった。というわけではありません。

 

単純に、あなたがヒラで社会的な力が無く、上司はあなたよりも社会的な立場による力があったというだけの理由です。

 

社会は、1+1=2の式の数式のように、確定した数が繋がっているわけではありません。社会を構成するすべての要素は、XやYなど不確定な数字で構成されています。

 

X+Y=Zが、社会の公式です。

 

そして上司は、XやYそれこそZも、好きな数字にする力を持っています。だからこそ、上司の指示通りに誤った指示を受けて仕事をしても、その仕事はうまく回す事ができます。

 

社会は、正しさなんてものを求めていません。そもそも、人は正しい正しくないという判断では動いていないからです。

 

何を言ったかではなく、誰が言ったか

仕事で万が一にも失敗した場合、その責任をあなたはとれるのでしょうか。

 

あなたが自分の正当性を訴えて、人を説得させたとして、万が一の失敗の責任を取れるのかどうかというと、それは無理です。

 

あなたがどれだけ自信と覚悟を持って責任を取ると言ったとしても、あなたの社会的立場ではそれは出来ません。あなたのミスの責任を取れるのは、あなたではなく、あなたの上司です。

 

となると、責任を取ることができる上司の発言は重い発言になります。相対的に、ヒラであるあなたの発言は、内容以前に、軽いものになってしまいます。

 

責任をとれるからこそ、上司の発言にみんなは従います。
責任をとれないからこそ、あなたの発言を周りは聞きません。

 

人は、その人が今まで積み上げてきたものでしか、人を測ることができません。社会的立場のある人の発言が尊重されるのは、そのためです。採用試験で、学歴やそれまでのあなたの活動実績が判断材料になるのはそのためです。

 

上司には、その立場まで登ったという実績があります。そしてその背景には、あなたにはまだ持ててない様々な仕事での経験や、社内外での信頼関係があります。何を言ったかよりも、だれが言ったかが社会で尊重されるのは、それまでに積み重ねた実績や経験に裏打ちされているからです。

無理に反発すると怪我をするだけ。

社会は人の集団によって構成されています。会社や学校も規模は違えど同じ集団です。集団は、正しさや善悪と関係なく動いています。

 

あなたがいくら正しい理屈を唱えたとしても、それに共感してくれる人は少なく。一方で、上司に賛同する人はたくさんいます。実力とは関係ない、社会的な力の差はどうやっても埋めることは出来ません。

 

無理に楯突いても、自分が傷つくだけです。会社では上司の評価が下がり、人事には扱いづらい社員として認識されて、出世の未知を閉ざされるかもしれません。付き合いづらい人間として、友人から距離を置かれるようになるかもしれません。

 

大半の人が、この力学の中で生きていくために、自分の頭で考えていないようにしています。正しく生きて傷つくことよりも、自己保身と自分の利益を本能的に選択します。

 

正しさよりも共感。正義よりも感動。行き辛いと思ったこの社会でうまくいきていくのでしたら、この社会の力学を理解して、うまく受け流すことです。

 

敵対するのでもなく迎合するのでもなく、ただ傷つかないように受け流す。社会で生き抜くための唯一絶対の処世術です。

 

自分をしっかり持って受け流す

社会で生きるためには、この社会に流れている力学に楯突いても意味がありません。

 

抵抗しても、自分の身が危うくなるだけです。力に逆らわず、流れを受け流すのが、最良の方法です。

 

ただし、その力学に絡め取られてはいけません。

 

傷つかないために、何も考えるのを止めて、流れに身を任せるのではありません。流れを受け流して、自分の立ち位置を必死に確保するのです。

 

外側では、社会と反発しないようにし、自分の内面では、自分の考えを持ち、正しい判断を下していきましょう。

 

友人みんなが遊ぶのが楽しいと言っている時に、あなたは友人に遊ぶのをやめるように言うのでは無く、将来の起業に向けた準備や資格取得に向けた勉強など、自分の夢のために時間を使いましょう。

 

上司の古い仕事論を聞きながらも、それに反発せず、こっそりと自分流の仕事のやり方を研鑽していきましょう。あなたが実績を積んだとき、あなたの言葉に重みが備わったときにこそ、それを発揮するチャンスが訪れます。

 

ある意味、自分本位とも言えるかもしれません。
 
みんなと同じで良いと思っているならば、なにも考えずに流れに身を任せてしまえば、あなたは生きやすくなります。ただ、それで満足できないならば、外と内の考えを使い分けるという、二足のわらじのような生活を選択するべきです。