ひとつでは少なすぎる。

趣味と嫁のために社畜生活頑張ってます。趣味と仕事が中心の雑記ブログ。

いつまでも失敗するような人生を送りたい

人に認められることは、仕事を頑張る上ではとても大事なモチベーションになります。「頑張りが認められる」と、もっと頑張りたい、もっと成果を上げたいと思うようになります。ただし、そうやって手に入れた評価が、時には貴方の成長を妨げる足かせになってしまうこともあります。

 

人間の持つ、”現状維持バイアス”では、リスクを避けて自分を守りたいという心理が無意識に働きます。貴方は、それまで必死になって努力した結果、一定の評価を得ることが出来ました。ソレ以上の評価を求めてリスクをとることに恐れを覚える気持ちが生まれるのは当然です。

 

 

しかし、よくよく考えると、失敗することは本当にダメなことなのでしょうか。

 

たった一回の失敗が今まで積み重ねてきた貴方の評価を下げてしまうものになるのでしょうか。それは違うと思います。挑戦すること、そして失敗することは、その次の成功につながるものです。成功するためには、その何倍もの失敗がつきものです。新しいことに挑戦しましょう。もっと失敗をたくさんしましょう。

 

 

失敗しない=成長の上限

「あいつは出来るやつだ」「優秀な若手のホープだ」そうやって評価されるのは、自分の頑張りが評価されたと、嬉しいものです。しかし、一回そうやって評価されると、その評価が崩れる事を恐れて、失敗しない事を第一に考えてしまいがちですが、これが大きな間違いです。

 

失敗しないということは、出来ることしかやっていないということです。たとえば、100メートルを11秒で走る事ができたとします。それはそれで大したものですが、11秒という記録で満足していては、11秒を切ることはできません。

 

なぜなら、10 秒台を目指すための様々な新しいトレーニングは、逆に記録が悪くなる可能性があるからです。10秒台を目指す人にとっては、リスクをとってでも当然チャレンジするものでも、11秒という記録に満足し、それを維持したい人にとっては、それは単なるリスクでしかないからです

 

成長しつづけるためには、出来ることの上限を超えていく必要があります。そのためには、できないことに挑戦する、つまり失敗する事が必要なのです。

 

そういう意味では、今の仕事に課題がなく、仕事にいつも余裕がある状態というのは、 成長のチャンスが全くない状態なので、危険です。

 

対策としては、仕事の課題を洗い出してみたり、別の部署への異動を希望したり、場合によっては転職を検討するなども良いかもしれません。

 

失敗することで評価が下がるのか?

失敗をして周りからの評価が下がる事を恐れる気持ちはよくわかりますが、実は失敗したっていいんじゃないかと僕は思います。なぜなら、1回の失敗で、人生棒に振るようなことなんて実はほとんどないのですから。

 

「あいつは☓☓をやって左遷した」等と小説やコミックなどのフィクションではよくある話です。読者もわかりやすく納得感があります。現実の左遷だってそういう噂が各所で登ることでしょう。人はわかりやすい理由を、自分が納得できる理由を求めます。

 

でも、今まで一生懸命頑張って、周りの評価が良かった人が、本当にその一回が原因で、出世の道を閉ざされるほどに評価が下がるものでしょうか。一回の失敗で人を評価してしまうほど、上司や人事制度は単純なのでしょうか。

 

そんなはずがありません。

 

そんなわかりやすい理由よりも、日々の些細な行動(仕事への消極性だったり、素行不良の積み重ね)が、人事評価や左遷に影響があったと考えるのが、自然でしょう。そういった消極的な態度の積み重ねが、ある日左遷という形で目に見えるようになり、その後になって、周りが納得するわかりやすい理由付けをしたくて、そういう噂が流れたに過ぎないのです。

失敗している = 成長している

さらなる成功を求めて、チャレンジした結果、失敗してしまうこともあるでしょう。そして、それによって現状の評価が下がることを恐れてチャレンジを止めてしまう人たちを、僕はたくさん見てきました。

 

しかし、常に成長し続けたいのなら、失敗を恐れてはいけません。 失敗を恐れて、自分に出来る事だけをしていては、成長なんて望めるわけがありません。

 

そしてチャレンジには、失敗というリスクが常につきまといます。逆に、過度に失敗を恐れて、挑戦しない人になってしまうことの方がリスクなのではないかと僕は思います。

 

あなたが考えているよりも、世の中は失敗に対して寛容です。 もっとたくさんチャレンジしましょう。そして、たくさん失敗しましょう。 失敗を経験した人だけが、さらなる成功を手にできるのです。