ひとつでは少なすぎる。

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一生懸命やるだけだと、全部ムダになる可能性がある話

一生懸命仕事をすることは、とても大事なことですがそれには大切な視点が抜けています。将来会社の経営を担うのなら、若い頃からその視点を持つことが大事だと僕は思います。ただし、あなたの上司や、そのまた上の上司はそんな事を思っていません。もしくは、知っていてもあなたには教えないでしょう。

 

これは、仕事とは言われたことをやっていれば良く、言われたままに粛々とこなすのが優秀な社員だと、皆が勘違いしているからです。

 

 

ただ、囚人のジレンマのように、個人個人が最適化を目指して、仕事を一生懸命やったとしても、全体の結果で見ると、全くそうはなっていないという事象もたくさんあります。

 

まさに木を見て森を見ずです。忙しさにかまけて全体を見ることを忘れてしまうと、とんだ失敗をすることもあります。全体最適と個人最適の違いを常に考えて仕事をしていきましょう。

 

”部分最適”と”全体最適”

中堅社員になると、仕事の量も多く、内容も高度になります。仕事をさばいていくためには、必然的に個人での最適化を高めていかなければなりません。

 

上司から指示された仕事です。それを処理すること自体にはなんの問題もなく、やりきる事が出来れば、上司からの評価も上がっていくことでしょう。

 

ただ、そうやって個人が生産性の最適化を続けた結果、全体の生産性も上がっていくのでしょうか 。つまり、

 

全体の最適化=個人の最適化×社員の人数

 

という式が成り立つのかという事です。

 

これは、残念ながら成り立たないでしょう。例えば、aさん、bさんという同僚がいたとします。彼らの仕事の範囲はとても似ていてしかも、仕事の一部は重複しています。

 

重複した仕事があった時、やっかいな仕事ならその仕事を他人に押し付けてしまい、もし美味しい仕事なら、その仕事を独り占めすることが、個人の視点から見れば行動の最適化になります。

 

これを、チーム全体で見た場合はどうでしょうか。お互いが仕事を押し付け合うなら空白の仕事が発生しますし、逆に奪い合うのなら一つの仕事に二人という、無駄な労働力が割かれる結果となります。

 

互いに効率的な行動を取ろうとした場合、全体から見ると不利益な行動を起こしてしまう結果になっています。生産性を高めようとするあまり、周りの仕事を気にする余裕がなくなる。忙しい人にありがちな状態です。

 

ただ、そうやって自分の仕事ばかりに集中することで、全体で見たときに最適な状態になっていない事がある、というのはどんな会社でもよく見られる光景です。

 

仕事に忙殺されてはならない

各人の仕事が忙しいのは、個人の視点からすると成長のいい機会ですが、全体の視点からすると最適な行動が取れなくなって不利益を被るリスクも発生します。この場合の正解は全体最適を見ながら個々のバランスをとることなのですが、忙しい中堅社員がそれを行うのは現実的ではありません。

 

理想的なのは、働くすべての人が全体最適を考えながら働いている状態です。そのためには、仕事で忙しいという状態を無くすことが大事だと僕は考えます。

 

「忙」は心を亡くすと書きます。全体最適を考えるためには、周りに気にしている(心を配っている)状態にならないといけません。そのためにも、忙しい状態の人がいたら、その人の仕事を減らすなどの対策をとって負担を減らす施策を行う必要があります。

 

本来なら、その当たりを管理職に就く上司が担うべき部分だと思いますが、中間管理職でそういった責任感を持って職務にあたっている上司は稀だと思っています。

 

日本企業は、過去のリストラで社員の人数を限界まで切り詰めています。人を減らしても、生産量などの定量的な生産性は変わらなかったかもしれませんが、その一方で、全体最適を見て仕事をするという視点が失われているから生産性が向上しないのではないでしょうか。

 

日本の生産性の低さは世界中でも下位にあります。その原因の一つとして、忙しさとそれに対する個人の最適化があるのではないかと、僕は考えています。