ひとつでは少なすぎる。

趣味と嫁のために社畜生活頑張ってます。趣味と仕事が中心の雑記ブログ。

「話し合えば分かる」とマジ顔で言う人が理解できない

「話し合えば分かる」という言葉はを時々聞くが、嘘だと僕は思っている。

 

ただ、世の中には真顔で、「話し合えば分かる」といってくる人がいる。

 

職場の同僚と、ちょっとした世間話をした。

 

彼女は若い頃に結婚し、今では二人の子供を持つ母親で、若干、育児に疲れているようだった。

 

「会社はほっとする。話せば分かってくれるから」

 

 

 

これ以上言葉は続かなかったので、彼女の真意は結局は不明だ。

 

多分だが、彼女はこういいたかったのだと思う。

 

”自分の子供は小さくまだ言葉も十分に分からない。なので言葉で言って聞かせても、子供は言葉がわからないので全然言うことをきいてくれないので、育児はとても疲れてしまう。”

 

”会社には、言葉で言えば理解してくれるオトナしかいないので、家に要るのに比べて、会社にいるのはとても気が楽だ”

 

 

働きながらの子育ての大変さからポロッとでた言葉だと思う。言いたいことは理解できるが、僕は違和感を覚えた。言葉さえ通じれば、人は分かり合えるものなのだろうか。

 

言葉が通じるからといって分かり合えるわけではない

僕は「言葉が通じる=分かり合える」とは思っていない。

 

言葉が通じるだけで分かり合えるのなら、争いが起こるはずがないからだ。

 

逆に、言葉が通じれば分かり合えるという錯覚があるからこそ、戦争などの争いまで発展するのではないかとも思う。

 

阪神ファンは巨人ファンにはならない

古いたとえで恐縮だが、たとえば野球で阪神タイガースを長年応援し続けている人が、あるとき巨人ファンに説得されたからといって、阪神から巨人に鞍替えするだろうか。

 

する人もいるかもしれないが、大半の人はしないだろう。

 

むしろ余計な事を言うなと、その巨人ファンに怒りを覚えて、距離をおくようになったり、最悪の場合は喧嘩になるかもしれない。

 

阪神ファンの人が怒りを覚えるのはもっともだと誰もが思うだろうが、仮に言葉が通じれば分かり合えるのなら、阪神ファンの人は巨人ファンになっていなければならない。

 

だが、当たり前だがそうなってはいない。

 

これは、言葉が通じるからと言って、他人と気持ちを似通わせる事が出来ないことを示している。

 

主張を押し通すことは「分かりあった」ことにはならない

大概の人は、拒絶されたらそれ以上の事をしようとしない。阪神ファンを、無理やり巨人ファンにしようとする人はめったにいない。

 

ただ、世の中には、「分かり合うこと」を「主張の押しつけ合い」だと勘違いしている人が一定数存在する

 

そういうタイプは、脅したりなだめたりとあの手この手を使って、彼彼女からすれば「分かり合おう」とする。実問題、こういう人に絡まれた結果、説得させられて、贔屓の球団を鞍替えした人も決してゼロではないだろう。

 

ただし、この場合は、互いが分かりあった結果かと言えば、そうではないだろう。

 

”説得”に成功した巨人ファンは、「自分の言葉が通じて分かり合えた」と一人で満足するだろうが、阪神ファンはそう思っていない。

 

阪神ファンの人は、自らすすんで巨人ファンになったのでは無い。気が弱かったり、協調性を優先する必要があるひと(たとえば職場の上司と部下)が、巨人ファンに気を使った結果、無理やり阪神ファンから巨人ファンに鞍替えしただけだ。

 

分かり合えないものを無理やり分かり合った結果は、片方の主張で片方を押しつぶす結果にしかならない。主張を押し通した側はそれを「分かり合えた」と考えるかもしれないが、押し通された側は「強要された、脅された」と考える。

言葉は最低限のコミュニケーション手段

分かり合うことを、主張の押し付けだと考えている人ほど、言葉を万能だと考えているフシがあるが、そんな事はもちろん無い。

 

言葉は必要最低限の意思疎通手段でしか無い。

 

そして言葉が通じるからといって、コミュニケーションが取れる訳ではない。英語ができるからといってら、世界中の人と友達になれるわけではないのと同じだ。

 

むしろ、コニュニケーションでは、言葉を使って、しゃべる以外の部分が重要だと考える。

 

会社のビジネススキル研修で「傾聴(けいちょう)」を教わった事がある。読んだままで(耳を傾けて)丁寧に聴くことだ。

 

その時は、ただ人の話を聞くことに、スキルもなにもあるものかと思ったが、コレが意外と使えることを後々実感した。

 

傾聴を意識すると、それまでは言葉のままにしか理解できなかった、上司の言葉の裏側が理解できるようになったのだ。特に役員クラスになると、言葉と真意で全く反対の事を言う人もいる事に気づく事が出来るようになった。

 

人の言葉を聞いて、そこから相手の考えや主張したいことを本当に理解すること、はとても重要な事なのだ。

 

「傾聴」を経て、その先に会話があると、その時には教わった。

 

一方的に主張することを、コミュニケーションとは言わない。

 

分かり合えない事を分かるために話す

繰り返しになってしまうが、「話し合えば分かる」という言葉は、嘘だと僕は思っている。

 

言葉が通じたからといって 阪神ファンが 巨人ファンの言葉を受けて贔屓の球団を乗り換えることはありえない

 

言葉は、「互いに分かり合えない部分を、互いに察し合うための手段」だと僕は思っている。

 

言葉が通じることで、巨人ファン同士はよりお互いの巨人を好きという気持ちを深めることで仲が深まる。そして、巨人ファンと阪神ファンで言葉が通じることで、互いに互いの球団をけなしたりをせずに、一定の距離を流しながらも同じ野球ファンという形である付き合いをすることできる

 

言葉が通じるとは、 第一に、敵対することを避けるために使われるもの、だと僕は思う。

 

それを理解せずに 自分の主張を押し付けることはただの争いの火種にしかならない

 

言葉が通じなくても、気持ちが分かり合える親子もいれば、言葉が通じても意思疎通が図れていない 職場だってある。

 

言葉を過信しすぎてはいけない。

 

言葉が通じれば、全てが通じると思い込むのは、危険すぎると僕は常々思っている。