ひとつでは少なすぎる。

趣味と嫁のために社畜生活頑張ってます。趣味と仕事が中心の雑記ブログ。

新しく振られた仕事を”ほぼゼロ”に圧縮した話

親方、ソラからお仕事が

 

昨年の秋頃に、仕事がソラから降ってきました。突然、委託先の人員削減から、もう仕事を受けられないと言われたのが事の発端です。色々あったのですが、結局は委託していた仕事を自前でやるという事になり、その担当が自分になりました。

 

委託先の部署では、その仕事のために人一人を置いていたので、実質仕事が2倍になったわけです。巫山戯んな、と思いましたが、そのうち増員して対応すると上司がいうのでしぶしぶ引き受けました。

 

ちなみに、新年度になりましたが自分の所属している部署に増員は無く、人が増えるという噂も聞きません。

 

 

引き継ぎでヤバさに気づく。

とりあえずは任された仕事をやらないと、という事で引継ぎを受けましたが、引き継いでいる途中で仕事のヤバさに気づきました。仕事の大変さとかではなく、無駄が多い仕事だとということに気づきました。

 

仕事の内容を具体的には言えませんが、よくある物品会計とそれに伴う資金繰りです。仕事の手順にムダが多くて、とにかく手書きが多いこと多いこと。なんで印刷した帳票にマーカーとボールペンで書込むという作業がこんなにも多いのだろうと少々悩みました。

 

一番酷かったのが、印刷する帳票の印字が間違っているから、修正ペンで該当箇所を消して、ボールペンで書き直せという引き継ぎ内容です。これに1ヶ月で4時間とられていました。

 

引き継ぎが完了した翌日、システム担当に連絡して、印字の修正依頼を出しました。わずか五分で、4H/月の仕事時間削減達成です。

仕事を無くそうと決意した結果

とにかく、ムダに作業量だけは多い仕事が降ってきました。これをこのまま引継ぎの通りに、バカ正直にやっていたら、毎月したくもない残業をする必要が出てきます。僕は仕事を覚えながら、なんとか仕事を減らす方法を検討していきました。

 

まずは捨てられるモノに注目した

まずは、捨てられる”物”を探しました。

 

僕個人の意見として、仕事の量と成果物(紙の資料や電子ファイル等)は相関関係があると思っています。

 

仕事の量が増えるとそれにともなって紙の資料なんかも自然と増えるものです。逆に、そういった紙の資料なんかの”物”を減らしていくと、不思議と仕事の量も減ったりします。真っ先に目についたのが、引き継ぎの際に渡された複数のファイル。中身は、過去半年分の資料でした。

 

僕は、仕事の資料を後生大事に抱えているのはムダだと思っているので、引き継ぎされたファイルから、過去二ヶ月分の資料だけを手持ちの紙ファイルに保管し、残りはシュレッダーにかけて捨てました。残した資料も、結局要らないことに気づいたので、翌月には捨てました。

 

いつか必要になるかも、と思って紙の資料でデスク周りにタワーを建立している人を見かめますが、そんな大事に持っていても使う事なんてめったにありません。逆に資料が多くなりすぎて仕事に集中できなくなってしまいます。

 

保管するコストとその資料が役に立つ期待リターンを考えたら、資料を捨てるほうが絶対に効果があります。必要ないなと思った資料や使い終わった資料は、すぐに捨てるようにしましょう。

 

その後は、捨てる事を探し始めた。

必要ない資料などの”ムダなモノ”を捨て終わったら、次に”ムダな仕事”を無くすことにしました。

 

たとえば、印刷した帳票に、マーカーで目印を付けて電卓を叩く。この一連の作業であるデータの集計を行っていましたが、データをcsv形式で出力出来る様に仕様を追加してもらい、別途データ集計用のエクセルファイルを作成して、この作業を止めることにしました。

 

初めに、集計用のファイルを作る必要がありましたが、作り終わったらあとはデータを更新するだけで終わりです。毎週3時間かかっていた仕事が、わずか15分で終わるようになりました。そうやって、要らない資料を整理したり、無駄な手作業をなくしたりして、もともと1人分あった仕事を0.2人分ぐらいまで減らす事ができました。

 

また、仕事を減らす際の抵抗として、変化を嫌がる同僚や上司がいます。それの対策として、自分に任された仕事の工程の、中身だけを変えて、 表面上は何も変わっていないように見えるようにしました。

 

仕事を無くした方が生産性があがる。

任された仕事に無駄が多かった事も幸いしましたが、”捨てる/止める”の改善作業を行ったことで、仕事の量を大幅に減らすことが出来ました。

 

仕事を減らす事が出来た理由としては、その仕事のゴール(なんの為にその仕事をするのか。その仕事に求められているものはなんなのか)を理解していたことです。ある仕事に従事している人にも、仕事を覚えてるだけの人と、仕事を理解している人の2パターンの人がいます。前者は、仕事のゴールを考えずにただ、過去に引き継いだ通りに仕事をしてるだけで発展性がありません。

 

そういう人たちにとっては、 仕事のゴールはどうでもよくて、ただ仕事のお作法を崩さないことが重要視されます。その状態がずっと続いてなんの発展もないまま仕事がなされていくと、時代に合わない無駄の塊のような形になった仕事が出来上がってしまいます。

 

また、ここで問題だと思うのが、 仕事が無駄の塊になっていることを、誰かが気づいていたはずなのに誰も指摘しなかったことです。表面上は、仕事が問題なく流れていたので、誰も文句を言いませんでした。ただ実際には、人が一人になくなっても大丈夫なぐらい、必要のない仕事だったはずなのに。結果として、過去数年間、全くいらない仕事に、人ひとり分の人件費が掛かっていたのです。

 

設備や人材と一緒で、仕事にも鮮度があります。当然、月日が経てば初めは必要だった仕事も劣化して使いものにならなくなります。鎌倉幕府が1192年から1185年になったように、仕事も段々とアップデートして然るべきなのです。

 

今やっている仕事は、続けるべきなのかそれとも止めるべきなのかを一定期間ごとに検討する習慣を持つべきです。それこそ、コスト削減といってコピー用紙の裏を使ったり、能力の引くパソコンの再リースを行ったりするといったみみっちいコスト削減とは比較にならないほどの効果が認められることでしょう。