こんにちは。ヒロタカです。
理屈の上では正しいことを言っているけど納得できない。
そういう気分になることってありませんか?
僕はあります。
この前、仕事の打ち合わせの最中にいきなりこちらのやり方の不備を指摘されたました。
内容としては簡単なことで、今まで出してきた資料のフォームを変えて欲しい、という内容でした。
ただ、その人の依頼の仕方が、
”今までが間違っていたから正してください。”
”私の言っていることなにか間違ってますか?”
という言い方だったのが不満に残りました。
作業自体は大したものではありません。
ではなぜ僕は納得できなかったのでしょうか。
「理屈」と「依頼」は同じではない
彼の言っていることは正しい。
でも、正しいからと言って僕が仕事を変える理由にはならないのです。
世の中には理屈が全てと思っている人が一定数いますし、僕も割りと理屈っぽい方なのでわかります。
おそらく彼の頭のなかでは、
仕事で不満な所が見つかった→正しくしたい→正しくするのに協力するのは当然のことだ。
という論法が展開されたはずです。
彼の最後に言った、“なにか言っていること間違っている“はその象徴でした。
でも、考えてほしいのは、その作業をするのは不備を指摘したその人ではなく僕なのです。
今までそれで問題なく回ってきていたところを横からでしゃばって来られて良い気がするかけがない。
簡潔に言うと、その人は
人にものを頼む態度ではなかった
のです。
自分も同じことをしてしまっていたかも知れない。
「理屈の正しさ」と「心の納得」の違いが理解できた時、
スッキリすると同時に、僕も同じようなことをして他人を不快にさせてしまっているという事に気付きました。
「正しいこと」の厄介な点として、それに気づいた人はその正しさ故に、
正しく直さなければならない、という義務感を(勝手に)背負ってしまい、
それに他の人も同調してくれるだろうと勝手に期待してしまいます。
「理屈」で動く人はその正しさ故に独りよがりになりがちです。
自分だけで完結している仕事なら問題ありませんが、複数の人が協力して行うプロジェクト
では致命的な不和をもたらします。
特に、管理部門は法律や会計規則を根拠に動くことが多いので、
人の仕事に無神経に口出ししてしまうことがあります。
仕事を正しく行っていくことと、人の和を乱さず協力して仕事を行っていく
似ているようですれ違っている2つの事柄をバランス良く行っていけるのが理想的です。
人の振り見て我がふり直せ、では無いですが今回の件は管理部門が陥りがちな罠に陥らないよう
日々自省する心がけを持とうと決意する良い機会でした。