ひとつでは少なすぎる。

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人生の極意は茶道にあり?僕が知人との別れで感じたこと。

Farewell...


 

こんにちは、ヒロタカです。

 

年明け早々ですが、今までお世話になっていた方が

遠方に引っ越すことを教えてくれました。

その方とは数年前からの付き合いで、様々な事を教えてもらい本当に感謝してます。

彼から今後も色々と学びたい、と思っていた矢先の別れ。
連絡先は知っていますが、今後は頻繁に会うこともなくなるでしょう。

 

それを聞いて自分はいろいろな後悔が頭をよぎりました。

なぜ、後悔という感情が生まれたのかを自分なりに分析してみようと思います。

 

安定を望んでいた

この関係がずっと続いていく、少なくとも数年(≒ここの数年は十数年と同じで、特に期限がないと言うことに気づいた)

はこのままだろうと安易に自分が考えたことに気づいた。

定期的に会う人間関係に対してある種の安心感を自分が覚えていたことに気づきました。

 

慣習化とでも言うべきでしょうか。
初めは教えを受けるためにその人に会っていたはずですが、

目的と手段が逆転し、現在ではその人に会うために教えを

受けているような状態になっていたのかもしれません。

 

その目的と手段の食い違いに気づいた時に、

なんて無駄な時間を過ごしてしまったのかと後悔しました。

 

その人に甘えていた

もう会えなくなると知った時に覚えた後悔というのは、

近々別れなければならないにもかかわらず、

自分はその人の教えをまったく実践できていないと感じた事です。

 

目的意識が希薄になっていた事を自覚しました。

今からどんなに頑張っても、彼の期待に答えることが出来ないと理解してしまった。
このまま別れると、彼の中には劣等生である僕しか残らない。
この点で、僕は自分がすごく情けないと思いました。

彼とはまた会う機会もあるかもしれませんが仮に、これが死別などの

もう一生会えなくなってしまう事柄だったらと想像するとゾッとしました。

 

後悔しないためには

 

結局のところ、今回の後悔は自分の認識の甘さだったと理解しました。
いつまでも同じ日々が続く、だから心配することはないのだと安易に信じ切っていたのです。

 

一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語。 茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味する。(Wikipedia)

 

人にはそれぞれの人生があってそれはその人だけのものです。

他人の人生を思い通りなんかには出来ないので、人間関係はいつか変化していくものです。

思えば、学生時代の友人などと会う機会もぐっと減りました。小中学校の友人の中には卒業式以降会っていない人もいます。

 

そう思うと、人生は一期一会の連続なのだと思います。

今後、このような後悔をしないためには、全ての出会いに対して誠意を尽くそう。
そう思えた2017年のスタートでした。